中国漢方薬寿堂
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最近、私の薬局へ不妊の相談に来られます多くのお客様から、「先生、ネットで『周期療法』を検索すると、すごい数の『周期療法』が出てきて、どこもかしこも同じ内容です。いったいどうなっているのですか? 先生ご存じですか」というご質問をいただきます。
実は、私はまったくパソコンを使えません。パソコン音痴の私は、パソコンを起動させることさえできません。皆さまから笑われると思いますが、便利なケータイ電話もどう操作するのかわからないので持っていないのです。今以上に忙しく生きてゆきたくない、なるべくのんびりとスローに生きてゆけたらと、いつも考えています。 『健康情報館』にはこの連載の第1回目よりすべて収載されております。また、私の薬局のホームページも今年の6月から始まりました。どちらの内容も、私が原稿用紙に手書きしたものを、発行元へファックスで送っています。 周期療法は私が20年前に出会って始めたものです。私が神奈川県の新聞にコラムの連載を始めて10年以上となりますが、機会のある度に紹介してきましたもので、数年前まではインターネット上ではこの連載以外に周期療法という文言は皆無でした。先日、私の顔写真と店の写真を撮影に来られた方から、近日中に『日本における周期療法の歴史』なるものが作られると聞いておりますが、それができれば私の口からいろいろ言う必要もないと思います。実は私の妻からも、このコラムの中で多くを語らないように注意を受けております。 今ネット上にあるすべての周期療法は、私の妻の不妊治療がなければ存在していないのです。これは決して過言ではありません。 妻は今から22年前、最初の妊娠で誤診が続き、子宮外妊娠の発見が遅れてしまいました。「不幸中の幸い」と言えばよいのでしょうか、開腹手術ではなく、腹腔鏡手術で卵管を1本摘出できたのは、その後の妻にとってはたいへん良かったと思います。 でも、手当てそのものが遅かったため術後の回復が悪く、まったく排卵できない状態となり、その後2年間排卵誘発剤のクロミドを服用して毎秋季排卵を起こし、タイミングをとることになりました。半年が過ぎ、体の回復の遅れを心配した妻は、生まれ故郷、中国淅江省杭州市の親戚に当たる老中医、何少山先生の診察を受けに行き、その後1年半、お手紙でいろいろと指示を受け、西洋医学と中医学を併用した結果、妻は体調を回復して妊娠。妊娠中はつわりもまったくなく元気に過ごし、1988年10月に4250gの長女を出産いたしました。 その出産直前の9月に、再来日された元北京同仁堂病院主任の叢法滋先生が、南京中医学院夏桂成先生の考案された中西医合作による新しい不妊治療『周期療法』についてお話しくださり、私はその瞬間妻の不妊治療を経験し、結果のすばらしさを体験しているので、この周期療法を勉強し、実践することに決めたのです。 ですから、日本における周期療法は、私の妻の不妊治療なくしては語れないのです。
by yakujudo
| 2007-11-10 00:01
| タン先生の周期療法
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